静岡新聞:時評

先日、2人のプロ野球選手が印象的なコメントを残した。1人は4千本安打を記録したヤンキースのイチロー選手、もう1人は今季限りの引退を表明したヤクルトの宮本慎也選手である。イチロー選手は記録樹立後、「4千本の成功の陰に8千本以上の苦悩と悔しさがある」と語った。また宮本選手は、「仕事として野球に真剣に取り組み、楽しいと思ったことは一度もない」と語っている。大きな功績を残した素晴らしい選手である彼らのコメントに共通しているのは競技スポーツの「楽しさ」以外の価値を見出していることである。

こうした価値観に対し、私自身も共感を得る。スポーツにおける楽しさについて、一般的にリクリエーション的な楽しさをイメージするのではないだろうか。このような楽しさは、スポーツの大きな魅力の一つである。また、生涯スポーツにおメントに共通しているのいてはさまざまなスタイルで楽しさを追求することが主たる目的であり、これが趣味としてスポーツに取り組むための大きな動機になっているだろう。

「楽しみ」以外に価値

これに対し、競技スポーツおいてはその目的が大きく異なる。競技スポーツの主たる目的は、競技力を高め、そして勝利することである。したがって「楽しみ」は二の次であり、優されるべき目的ではない。厳しい言い方ではあるが、これが競技スポーツの本質である。最近は、競技スポーツにおいても「楽しみ」を求める節が強く、辛い状況になると、「楽しくない」と訴える選手も多くなった。もちろん、競技スポーツにおいても楽しさを求めることは、悪い事ではない。

しかし、競技スポーツにおける楽しさは、極める楽しさであり、自己成長や課題の克服、そして勝利することというた事から得る楽しさである。したがって苦難や悔しさが伴い、それらの試練と付き合っていくのが使命でもある。そして、レベルアップするほどに試練が大きくなるのが競技スポーツである。

スポーツにおける楽しさが一つの意味だけを有しているのではない。表には見えない競技スポーツの実情を理解し、そして厳しさや試練の中にささやかな楽しさや喜びを見うけ出すことが選手には求められる。こうした楽しむことの奥深さに気付いていけば、競技スポーツはもっとおもしろさを増すだろう。