イデオロギーとスポーツ
静岡新聞:時評
熱狂と興奮に包まれたロンドンオリンピックが閉幕した。日本は史上最多の3個のメダルを獲得し、開催期間中は選手たちの活躍に関する話題で持ちきりであった。しかし、こうした熱狂に水を差す出来事が起こった。男子サッカーの3位決定戦における、「竹島」に関する韓国人選手の行動である。彼のとった行動は日韓両国だけでなく、IOC(国際オリンピック委員会)を含む国際的な問題になりつつある。
しかし、こうした政治的な問題は今回のオリンピックに限ったことではない。1986年のベルリンオリンピックなどは、ナチスドイツが世界に対するプロパガンダとして利用したことは有名である。また72年のミュンヘンオリンピックでは、パレスチナゲリラがイスラエル選手団を殺害するテロ事件が起きている。さらに、80年のモスクワと84年のロサンゼルスの両大会は、東西冷戦の影響を受けて参加をボイコットすることが起こった。このように、以前からオリンピックにはイデオロギーが大きな影響を与えてきた。しかしこのような歴史的経緯を経て、どのような外交的衝突があれどもオリンピックやスポーツには持ち込まないという考えが浸透し、平和の象徴としてのオリンピックという立場を鮮明に表すに至ったのである。
国境、民族を超え楽しむ
そしてオリンピック憲章の目的の一つとして、人間の尊厳保持に重きを置く平和な社会を推進することが挙げられている。また憲章は、五輪施設や会場における政治的宣伝活動を禁止しており、特定の地域や国に対する政治活動はオリンピックが目指す平和の構築とは相反するのである。オリンピック関係者はオリンピック憲章を遵守した上で参加することが義務である。世界から注目されるオリンピックだけに、選手は平和に貢献するという大きな責任と義務を負わなければならない。また、スポーツにイデオロギーを反映させることは、現代の価値観にそぐわないだろうし、スポーツのおもしろさを堪能することを妨げる。選手や指導者だけでなく、見る側の我々もイデオロギーと切り離して考えた方が良い。国境も民族の垣根も超えて世界中で楽しめることがスポーツの大きな魅力であり、「スポーツそのものを楽しむ」という我々が有する権利を行使しなければもったいない。